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上野城址(津市上野)

 城主は、分部左京亮光嘉(1552年〜1601年)で、安濃城主細野藤光の二男。16歳の時に分部城主、分部三郎衛門光高の嗣子となります。光嘉は、工藤長野家の中でただ一人織田信長側につき、伊勢侵攻の先陣を務めました。その時に、上野城主になったのが、織田信包(信長の弟)であり、義光は家老として仕えたそうです。1570年(元亀元年)に普請奉行となり、1573年から8年間で白亜五層の天守閣を持つ安濃津城(津城)を築いたそうです。本能寺の変後信包は秀吉に近江に追放され、安濃津城主は富田信濃守信高になりました。関ヶ原の戦いでは、信高・信包共に徳川家康側につき、家康が光嘉を伊勢上野城主(2万石)に復帰させました、1619年(元和5年)に近江大溝に転封となり上野城は廃城となりました。

 NHKの大河ドラマ「江」に出てくるお市の方とその娘三姉妹(茶々・初。江)が一時住んでいたのがこの上野城です。この放送がされる前はほとんど見向きもされなかったこの城ですが、放送後上野地区を訪ねる人が大変増えています。「江」ゆかりのお寺(円光寺)には、ほとんど人が来なかったのがこの1年間で3万人を超える方が訪れているそうです。テレビの力から恐るべし。
 本丸跡 土塁跡   天守台跡

  上野城跡は、。東西250m、南北550mの規模で、城の主郭の周囲には土塁や堀切で区画された郭が取り巻き、郭の東側に来幅20mの空堀があったといわれています。主郭の大きさ約30m×45mで、今でもところどころに土塁が残っています。


 現在上野城跡は、公園として整備されており、駐車場も整備されています。公園内には案内板も設置されており、また、展望台も作られています。天帆輪゛宇内からの眺めはなかなかのものです。天気のいい日に訪れてみればいかがでしょうか。