本文へジャンプ
久居陣屋跡(津市久居西鷹跡町)

 江戸時代久居藩は、津藤堂藩の守りとお世嗣ぎ確保のために立藩したといわれています。初代藩主は、藤堂高通(当時25歳)で、津初代藩主藤堂高虎の孫にあたります。伊勢・大和・山城三か国十一郡のうちから5万石を分知されました。1670年(寛文10年)に野辺村に陣屋を立てました。

  <陣屋の概要>侍屋敷200戸と町家500戸の城下町を完成させました。
 現在は高通児童公園となっています。

 久居藩は、伊勢神宮警備の使命と江戸での勅使接待や両国防火の退任を果たしていた。また、文教振興にも尽力し、平井友賢を迎えて藩学を創立したといわれています。松尾芭蕉も度々久居の町を訪れているそうです。そのときに詠んだ句「道のべの木槿は馬に食はれけり」があります。この碑も残されています。