昭和4年3月に三重県から史跡として指定を受ける。そのとき作られたのが、この碑である。
 「古事記」によれば、日本武尊が東征の帰り、病のため、腰の剣を杖について上られたので、この坂を「杖衝坂」と名付けたといわれている。さらに、三重村のところで、「吾が足三重のまがりなして、いたくつかれたり」といわれ、その地を三重と名付けた。現在の采女町あたりがその地といわれ、三重県の県名の由来ともなった。また、松尾芭蕉が、落馬したときに詠んだ季語のない俳句を記念して立てられた、芭蕉碑がある




日本武尊が東征の帰りに、この地を通り、疲れ果てて血をはき、その血が石にかかった。その石を集めて祀ったのがこの社である。
 血塚碑・・・・・[画像を見る
 山の神・・・・・[画像を見る



1687年、江戸から関西旅行に出かけた芭蕉が、日永から馬に乗ってこの坂を登ろうとしたが、坂が急なため、落馬してしまった。そのときに次の句を詠んでいる。
 歩行(かち)ならば杖つき坂を落馬かな
 
 また、1756年(宝暦)に村田鵤州がこの話をもとに、句建てた。(左の写真をクリックすると大きな画像がみれます。)

 新しくできた説明の碑・・・・・[画像を見る